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チャレンジ富士五湖(71km) [旅ラン・あら★カルト]

 この地を訪れたのは3年振りで懐かしさを感じた。
 4月23日(土)18時過ぎにチェックインを済ませホテルの部屋から景色を見ると左前方に富士山の姿がはっきり見える。前回来た時と天候、服装がまるっきり違う。
 明日は少し暑くなるようなので夕食はやや塩っ気の多い物を中心に摂り、露天風呂に入り23時前に就寝に入った。

 4月24日(日)4時15分に起床した。窓を開け外を見ると霧雨が降っている。一時的な雨なので気にせずに前夜にコンビニで買っておいたおにぎりとサンドイッチを食べ味噌汁と缶コーヒーを飲み、準備に入った。
 5時30分、予約していたタクシーに乗り、会場となる富士北麓公園へと向かった。
 出発する頃には霧雨も止んだ。ホテルを出た時は半袖シャツ1枚だったがこの場所は標高が少し高い所にある為、上着を着ないと寒くてたまらない…。上着を一枚羽織り、ランニングバックを背負い、スタート地点へと向かった。
 そして…7時00分、曇天模様の空の下71㎞部がスタートした。
 まずは競技場トラックを一周し、コースへと出るがいきなりの下り坂となる。ブレーキをかけながらスピードを押さえていく。この後は直ぐに上り坂となり、また下り坂となる。
 14.2㎞地点の『河口湖ステラシアター』で1回目の休息に入った。足もあまり使わずここまで来る事が出来、体調も良いので、次の休憩ポイント27.5㎞地点『足和田出張所』まで少しペースを上げて走った。
 前回走った時と随分コースは変わり、寒くて動けなくなってしまったコンビニも通らないが、河口湖大橋は変わらずだ。
 前回、ミスター(A-RUN習志野において応援に命を懸けているメンバー)のいる所でタオルを投げるつもりでいたが、傘もささずに懸命に応援しているミスターの姿を見たら逆に元気になり、体調が回復した…3年前の自分と重ね合わせながらこの橋を渡った。今年は半袖で走っている。
 快調に足和田出張所へ到着し、預けておいた荷物(甘いもの)を受け取り、簡単に補給食を済ませ8分後にスタートした。
 34.1㎞地点『吉田うどんエイド』少し時間をかけながらゆっくりと堪能し、12分後にスタートする。
 気温も上昇し薄日も差し始め、清々しい陽気中を進んで行く。足も極めて怖い位に順調だ。
 精進湖を折り返し45㎞を過ぎた辺りでお腹に締めつけられるような痛みが走った。「あれ?やばい!どうしたんだろ?」そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
 45.7㎞地点の『赤池大橋エイド』でトイレに立ち寄り、そこから”内なる苦闘”が始まった。その先は食べれば上から、飲めば下から…とエイドの度にトイレに寄り8回もお世話になってしまった。
 それでも60㎞までは何とか走り続けたが、途中から飲まず食わずで走っていた為、完全にスタミナが切れてしまった。普段あまり口にしない「根性、根性、ド根性」を連呼しながらこの先10㎞を歩いた。
 残り1㎞。意を決したかのように走り始めた。北麓公園敷地内に入ると前後のランナーがいなかった為、声援を独り占めした。
 しかもアナウンサーからは身体的特徴、名前、チーム名を呼ばれ、右手を上げお礼の気持ちを込めながらその前を通過した。
 スタートして8時間32分濃霧の中、ゴールテープを切った。目標タイムより1時間遅くなったが、この状態の中でゴール出来た事に感謝した。
 しばらくは座り込んでしまい、動く事が出来なかった。何が原因だったのか全く分からず、何とか17時発の富士山駅行き、シャトルバスに乗り込み17時36分発の新宿行きの特急電車に駆け込み、帰路についた。

 終わってから2日経ち、多少の心残りはあるものの、あんな状態でも完走が出来た事で自分として「戻って来る事はもうないだろう」という気持ちとなり、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの卒業宣言を一人呟いた。

掛川・新茶マラソン [旅ラン・あら★カルト]

 本当はハーフやフルに参加したいのだが脚の状態から大会は10kmしか参加できない。まあ全国各地で開催される大会の雰囲気を嗅ぎ取るにはこれでも十分だろう。
 掛川・新茶マラソンは脚の状態が良かったときから気になる大会だった。尻込んだのは開催が4月なので暑くなる可能性と、結構なアップダウンがあるという触れ込みがあったからだ。
 参加を決めた際、フルマラソンのコースマップを眺めながら、勝手に「10kmは5kmの地点で折り返しかな」と思い、名物のフルーツステーションを1回立ち寄ることができる、と勘違いしていた。
 10kmがヤマハリゾート・つま恋の周回コースだと知ったのは、準備のために送られてきた資料をしっかりと読んだ前日。がっかりしたが仕方がない。
 津田沼から掛川までは新幹線を利用すると2時間半弱であり、10時35分のスタートに6時20分過ぎに家を出れば間に合う。宿泊がないのでお金の観点から優しいし、土曜日が通常通りに過ごせることで、週末のルーチンワークもこなせる。
 掛川駅に到着し、シャトルバスに乗車した。ここまで至極、順調。
 つま恋の南ゲートに一番近い駐車場で下車してから、南ゲートへ向けて歩いた先で、ひと悶着あった。フルマラソンがスタートしたので、ランナーが全て通過するまで、南ゲートへ通行するができないとのこと。仕方なく迂回して入場したが、案内図は全くなかった。
 改めて10kmのコースマップを眺めると変形した“8”の字を走る。2月に埼玉の国営武蔵丘陵森林公園で開催された大会は公園内を縦横無尽に走るコース取りだが、今回も同様にアップダウンが連続することは間違いない。願わくは森林公園程、勾配が急でないことを祈ろう。
 フルマラソンのランナーが出発した後なので、更衣室もガラガラだし、トイレ待ちのストレスもない。ナンバー末尾の数字の棚に荷物を預け、時間もないがスタートラインに並ぶ前に少しだけはウォーミングアップしよう。
 天候は薄晴だが気温は20度近くに達すると想定し、ウェアは夏仕様(半袖・ハーフタイツ・カーフタイツ)で臨む。
 戦術と呼べるものではないが、まず1周目はアップダウンを体で覚え、2周目に活かすことにする。スタートラインは心持ち前の方に並ぶ。
 散り始めた桜の木々の下、10時35分スタート。10kmの参加者は1,000人弱。出だしはゆっくりランナーが閊(つか)えて団子状態となるのはよくあること。
 ゆっくり円弧を描く緩やかな上りから始まり、上り切ると少々フラットの後は下り。脚とお尻に衝撃を与えないよう歩幅を狭め、ピッチ走法で脚を繰り出す。
 先の方から何やら爆音が聞こえた。レーシングカートだ。暫し、大会ということを忘れ、コーナリングするカートを眺めながら走る。
 一番下まで下ったところが北ゲートで、そこから上りに転じる。「そのまま上ってくれ」と念じるが当たり前で適わず、トンネルを潜るためまた下り。
 トンネルを抜けると緩やかな上り基調とフラットで「いいぞ」と頬を緩ませても、それは南ゲートまで。
 南ゲートからはダラダラした長い上り坂が続く。喘ぎながら上り切るとやっと1周だ。(GPS時計ではまだ5kmに達していないが・・・)給水と頭、膝に水を掛け、2周目に突入。
 最初からお尻を叩きながらの走りであったが1周目は順調だったし、コースの状況を体で覚えた。2周目は効率良く楽(らく)して走りたい。
 右や左に折れ曲がる路を最短距離となるようコース取り。ただペースは1周目より遅い。
 ランナーと野球の投手は早く結果を知りたがるが、2周目は我慢・がまんで走り続け、お待ちかねの最後の難関・南ゲートに達した。
 私はどちらかと言えば上りの走りは得意で、上りで前のランナーに詰め寄り、下りとフラットで離される展開が多い。ただ今回の上り坂は非常に長い。敢え無く失速し、歩幅を更に狭め、歩くようなスピードでゴールを目指す。
「あともう少しです」という声に反応して視線を右にずらすと多目的広場近くの施設が見えた。確かにもう少しだがGPS時計は少し前に9kmのブザーが鳴ったばかり。どうなっているの?
 これまたコースをきちんと詳細まで確認していなかったため、多目的広場の周回から右折したらゴールまで一直線だろうと思っていた。前方のランナーを見るとU字ターンし、また周回を反時計周りに走っている。このとき精神的にガクッときてヘロヘロ状態。後続のランナーに抜かれなかったのは不思議だった。
 最後の直線もギアチェンジすることなく両手を挙げてゴール。
 驚いたことにタイムは良かった。ただGPS時計に目を遣ると9.47kmの表示。アップダウンが連続したし、ご祝儀タイムと思って貰っておこう。
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 アフターランの楽しみは仲間との宴会であったり、温泉に浸かったりと人それぞれ。私はマラソン大会で全国各地に旅した際、可能ならば百名城を訪れることにしている。今回は掛川城。満開の桜と空に聳(そび)える天守閣の構図は素晴らしく、角度を変えて写真を撮りまくり、今日一日、旅ランと城を十二分に堪能できた。
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錦帯橋(きんたいきょう)ロードレース [旅ラン・あら★カルト]

 錦帯橋(きんたいきょう)-言葉の響きが頗(すこぶ)るいい。
 昨年「しまだ大井川マラソンinリバティ」の10kmに参加し、完走後はフルマラソンに参加した仲間を待ち、最後の10kmを一緒に走った。待っている間に世界一長い木造の歩道橋である蓬莱橋(ほうらいばし)を渡った。この時「各地の有名な橋を渡ることもいいな」と思った。
 「錦帯橋ロードレース」-大会名に引かれて申し込んだ。
 実家が福岡市で大会当日、博多駅から新幹線で新岩国まで移動。隣の山口県とは言え広島県寄りなので結構時間が掛かる。
 マラソン大会開催最寄り駅は普通、幟が立ってスタッフが到着したランナーを案内しているものだが、駅構内や駅前ロータリーに何もない、誰もいない。ロータリーにポツンと1台だけ停車していた錦帯橋行のバスに乗り込む。
 バスは錦川の蛇行に沿って左側を走る。大会のコースマップを見ると対岸の路を走ることになる。
 「次は錦帯橋」
 バスを降り、道路を渡ると左手にお目当ての錦帯橋がパンフレットの写真通りに現れた。年末・年始、ビールのコマーシャルが撮影された場所として有名となった錦帯橋。
 スタートまで1時間を切っていたため、ゆっくりと有料の錦帯橋を渡ることはできず、無料の錦城橋をそそくさと渡って大会会場へ到着。
 天気はてっきり雨だと思っていたが薄曇り。万一に備えてウィンドウ・ブレーカーを手に持って走るか?西に眼を遣ると曇りだが明るい。その上、暖かいし上は半袖(A-RUNネオ・ユニフォーム)だけに決めた。
 年初の大会(千葉マリンマラソン)、スタートラインの数列目に陣取り、周りのランナーのロケット・スタートに対応できず、同じ組の大半のランナーに追い抜かれ、惨めな状況に陥った。今回は心持ち後ろからスタートしよう。
 10kmの参加者は1,000強。最初は鏡川沿い、山陽自動車道を跨いで新幹線沿いの道路を折り返すコース。
 スタート直後は予想通りの団子状態。徐々に同じペースのランナーと一緒に走れるようになる。今回は後続ランナーにどんどん追い抜かれることはない。
 左手にある丘の頂からランナーを見下ろしているは岩国城。10kmランナーは道路の左側を走り、反対側は先にスタートしたハーフのランナーが続々と戻ってくる。
 錦川は最初、竹藪に隠れて見えず、左側に曲線を描きながら走ると、やっと右手に見えた。
 コースは小さなアップダウンがあるが、ほぼフラット。雨は降らず、寒さもなく、マラソンには最適の天候。ただ我が身は坐骨結節が痛み、抑え気味のペース。まあ仕方がない。
 2km過ぎの給水所でコップを受け取り、少し喉を潤し、残り水は水冷として早々と膝掛け。
 山陽自動車道を渡り、新幹線沿いを走るコースに入る。スタッフ以外応援者は殆どおらず、寂れた道路は走りに専念できる。
 4.9kmの折り返しからはハーフのランナーと並走が始まる。前半はペースを抑え、後半は心持ちペースを上げる。5~6kmが一番早いペースであったことは初めての経験。
 以降は走ってきたコースの逆走で、アップダウンが殆どなく、気が楽だ。
 ただ残り2km半辺りから5kmのランナーも並走に加わる。ゆっくりランナーを避けて左へ右への走りとなる。
 コースが右に曲線を描く辺り、ペースを上げた男性ランナーに喰らい付いた女性ランナーを見付けた。私も一緒に引っ張ってもらおう。
 女性ランナーは8kmでギアチェンジしたランナーを追ってペースを上げ、私は少し置いてきぼりとなる。ただまだまだ射程距離。
 9km。残り1kmで太腿を使った走りに変え、ペースを上げる。痛みは・・・、変わらない。
 左手は竹藪が生い茂り、少し曲がったコースなので前方を見渡せない。ペースを落とさず、前へ前へと我慢して進むしかない。
 歓声の声が聞こえ出した!終わりが近い。ああ、ゲートが見えた!!最初がスタート・ゲート、次がフィニッシュ・ゲート。
 スタート・ゲートで件(くだん)の女性ランナーが右横に・・・。必死でピッチ走法に切り替え、逃げ切る。
 タイムは年初の大会(千葉マリンマラソン)よりかかっているが、まあ快走できたことで“よし”としよう。岩国城と錦帯橋を待たせているので、この後も急がねばならない。

 岩国は剣豪・佐々木小次郎の出身地である。岩国城へ向う途中、燕返しに構えた銅像が行く手阻む。二拝二拍手一拝で敬意を表して前へ進む。
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 南蛮造と呼ばれる岩国城の再建天守閣へはロープウェイで上る。天守閣6階からは蛇行した鏡川にかかる錦帯橋、南に広がる旧街並みが一望できる。
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 さて今回最大のお目当て、日本三名橋の一つである錦帯橋。アーチ型五連の木橋は写真対象の構図としては申分ない。あれっ、今日は岩国へ何しに来たのかな?
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